インカ帝国第2の都市:世界遺産キト市街の歴史

どうも、大学生ブロガーのSeigaです。
今回は、インカ帝国第2の都市である世界遺産キト市街の歴史について迫りたいと思います。
旅行や調べ物の際などに参考になれば幸いです(*´ڡ`●)

先住民族文化と西欧様式が融合した都市

先住民族文化と西欧様式が融合した都市

標高2,850m、アンデス山脈の高地に築かれたエクアドルの首都キトは、新大陸における宗教の中心地です。

世界遺産:キトの市街の特徴

「アフリカ大陸の修道院」の異名を持つ世界遺産

上記の通り、エクアドルの首都キト(サン・フランシスコ・デ・キト)は標高2850 mに位置しています。

その国名(エクアドルは赤道の意味)が示すように、赤道直下に位置する国ですが、その標高の高さに起因する過ごしやすい気候は、都市の発展にも寄与しました。

キトの建設は1534年のことで、インカの武将ルミニャウイの追撃の途上でこの地に入ったセバスチャン・デ・ベナルカサスによるものです。

スペイン入植以前のインカ人都市は、スペイン人の侵略に抵抗しようとする住民自らによって破壊されたため、その痕跡は残ってはいない。

1543年に正式にスペインの植民地支配が開始されると、独立広場を中心として格子状に街路が形成され、さまざまな建物が並ぶようになりました。

スペイン植民都市は建設に関して様々な規格が存在しており、広場を中心とするキトの市街もそれに倣っています。

他方で、キトは傾斜地に規格化された都市計画を持ち込んだ都合上、急勾配の街路や階段が見られます。

様式は時代ごとに変遷し、旧市街ではルネサンス様式、バロック様式、ムデハル様式などを見られる。

キトに進出した修道会はフランシスコ会、ドミニコ会、イエズス会など様々で、彼らが築いた多くの宗教建造物が立ち並んだキトは、前述の通り「アメリカ大陸の修道院」ないし、「南アメリカの修道院」の異名を取りました!

1917年の大震災、1987年の大震災などでたびたび被災したが、歴史地区の保存状態の良好さはラテンアメリカで随一と評価されています。

「アフリカ大陸の修道院」の異名を持つ世界遺産

「アフリカ大陸の修道院」の異名を持つ世界遺産

現在、キトの旧市街には、16~18世紀頃の間に建てられた教会堂や修道院が30以上も残っています。

これらの宗教建築は、いずれもヨーロッパのバロック様式やスペイン伝統のムデハル様式などが融合した、植民地特有のスタイルで建てられており、保存状態も良好です!

キトの市街にある主な宗教建築

キトの市街にある主な宗教建築

 

大聖堂

市街の中心部に位置し、大統領府、市庁舎、大聖堂などに囲まれている。独立広場に面している大聖堂は1572年に建造された。1660年、1755年、1797年と大地震の被災のたびに修復されたので、本来の様式に比べて簡素に変わっている。大祭壇にはカスピカラの彫刻が飾られている。この大聖堂には、エクアドルの初代大統領ファン・ホセ・フローレス、ボリビアの初代大統領アントニオ・ホセ・デ・スクレの棺が納められている。

サン・フランシスコ修道院

フランシスコ会修道院は1535年に建設され、これは同じ年から建設が始まったサン・フランシスコ聖堂とともに、南アメリカ大陸最古のカトリックの宗教建造物である。修道院は南アメリカで「もっとも威厳のある教会建築」ともいわれる。

付属のサン・フランシスコ聖堂の建設を手がけたのはフランドル出身のホドコ・リッケで、かれはフランシスコ会士だった。内部に安置された十二使徒像はカスピカラ(インディオの彫刻家)の手になるものである。

付属するインディオのための教育機関は、神学と美術の学校となった。この工芸学校は南米最初のもので、南米美術の一派であり、大きな影響力を持った「キト派」を生み出したことで知られている。

ラ・コンパニーア教会堂

ラ・コンパーニア聖堂は1605年にドイツ人のレオンハルト・ドイブラーが着工し、イタリア人のベネッチオ・ガンドロフィットが1766年に完成させた聖堂で、祭壇の装飾にはふんだんに金箔が使われている。イエズス会の聖堂で、イタリア・バロックとスペイン・バロックの様式が混じりあったその建築は、エクアドルに残るバロック様式建造物の中では最高傑作とも評されている。安山岩で築かれており、ファサードは螺旋状の柱で飾られ、優美なものと見なされている。

 

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。