現役大学生が思う『認知と科学』について

Seiga(理系大学生)
Seiga(理系大学生)

どうも、大学生ブロガーのSeigaです。
今回は、『認知と科学』に関する押さえておきたい事項をまとめました(*´ڡ`●)
現代文でもよく扱われるテーマなので参考になれば幸いです!

テーマとしては難しいなぁと感じる方が多いと思います。

僕自身理系で、全く言語学的なことは分かりませんが、様々な本を読んで学んでいく中で

これは持っておいたほうが良いなという知識をまとめましたww

言語とコミュニケーション・認知と科学・人間Ⅰ

言語とコミュニケーション・認知と科学・人間Ⅰ

人間=言葉を使う動物

人間と他の動物の違いは何でしょうか?

これについては様々な答えが考えられますが、その模範解答の1つは、

人間だけが言葉を使う動物であるということ!

例えば犬や猫は、目の前に食べ物があったら本能に従ってそれを食べるだけですが、

私たちは、「おいしそうだ」「後で食べることにしよう」などといったことを考えてしまいますww

このとき私たちは、否応なしに言葉を使っています。

つまり人間とは、言葉を使わないと考えることがなかなかできないような存在ですね。

しかもその言葉とは、個々の人間の内にあるものではなく、私たち一人一人が生まれる前から、ある社会や共同体の中で、共通の約束として使われていたものです。

そして私たちは、そうした言葉を母語として習得しながら育っていく。

だから、私たちの心は母語や国語などによって形作られているとも言えますね!

言葉は理性であり、それは知性を生む

ギリシャ語では、「言葉」のことも「論理」のことも「理性」のことも「ロゴス」といいます。

このことから分かるように、人間にとって言葉の獲得とは、論理的な思考能力を獲得することでもありました。

そして人間は、自ら身につけた知性によって様々なものを認識分析するなどして体系的な知の世界を作り上げ、テクノロジーなどを生み出していきました!

しかも、近代と呼ばれる時代の到来とともに、人間の理性や知性といったものは、かつてないほどに重んじられるようになっていきました。

「近代=ロゴス中心主義の時代」ということができるでしょう。

近代的知性の本質は、あえて言えば「分ける」ことにあります。混沌とした世界を言語によって分節し、概念を作っていくことが、近代的な知の特徴です!

だから近代の自然科学においては、物質を、それを構成している分子・原子などへと細かく分けていけば、その本質が明らかにされると考えられています。

STEP.1
人間と言葉
  • 言葉を使って考える
  • 言葉によって精神が形作られる
STEP.2
知の獲得
 

理性(論理)的な思考の獲得

      ⇩

科学的な知やテクノロジー

STEP.3
近代
 

人間の理性こそが、最も価値あるものとされる

言語とコミュニケーション・認知と科学・人間Ⅱ

言語とコミュニケーション・認知と科学・人間Ⅱ

近代的な知の見直し

ところが19世紀後半頃から、ロゴス中心主義的なあり方への反省が叫ばれるようになりました。

人間の心の働きにおいては、理性ばかりではなく感性も重要なのではないか?

科学やテクノロジーが発展すれば人間が幸せになれるというのは、単なる幻想ではないか?

はたして近代的な知性だけが知性と言えるのか?

こうした問題がクローズアップされる様になってきました。

人間の創造的な把握へ

こうした考え方は、人間とは何かといった問題への考察にも自ずと繋がっていきます。

例えばそれまでは、人間は心身二元論的にとらわれることが多く、

人間は精神と肉体という2つの別のものからなるという考え方です。

もしそうならば、精神は文学や哲学によって考察されればよいし、肉体は医学生物学によって考察されれば、それで事足りるということになってしまいます。

しかし、人間とはもっと複雑な存在であり、精神と肉体との総合である「身体」的存在ではないのか?

こうした問題が新たに提起されるようになりました。

しかも現代では、人間が完結した存在として捉えることは殆どなくなってきています。

たしかに私たち一人一人は自立した個人であるべきですが、そんな私たちは共同体や社会の中で、他者とともに生きていくしかありません。

私たちはいわゆるアイデンティティも、他者や社会との関係の中で形成されるのだ。

以上のことからも分かるように、人間とは複雑な総合体というべき存在なのです!

例えば、嫌なことがあってどうしても外出したくないとき、本当に頭やお腹が痛くなったりしたという経験はないでしょうか?

これは、人間の心と体が分かちがたく結びついたものだということであろう。

しかもそうした人間の心は、言語によって形成され、他者や社会との関係の中で規定されます。

Seiga(理系大学生)
Seiga(理系大学生)

現代文では、こうした複雑な存在としての人間のありようが考察されます

STEP.1
前近代の人間観
 

  • 人は神の作った世界の中で生きる
  • 「個人」という概念が希薄
STEP.2
近代的な人間観
 

  • 自立した「個人」
  • 健全な肉体に理性的な精神の宿った人間が理想的
STEP.3
現代の人間観
 

  • 心と体を併せもった「身体」的存在
  • 他者や社会との関係によって形成される複雑な存在

赤文字で書いた単語を詳しく見ていくことで、より『認知と科学』についての理解を深めていきます!

(『言語とコミュニケーション』についてはこちらの記事で書きました!)

現役大学生が思う『言語とコミュニケーション』について

パラダイム・シフト

パラダイム・シフト

パラダイム

 ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。「企業は新しいパラダイムを必要としている」

 語学で、語形変化の一覧表

 

体系

 個々別々の認識を一定の原理に従って論理的に組織した知識の全体。

 個々の部分が相互に連関して全体としてまとまった機能を果たす組織体。

たとえば中世以前のヨーロッパでは、科学者たちは天動説に基づいて世界の仕組みを解釈していました。

ところかやがて、 天動説では惑星の動きについて説明することができないといった問題が生じきた。

ると、それまで異端視されていた地動説の ほうが問題の解決に有効だということになり、多くの科学者かその地動説をよりどころにして世界を解釈するようになっていく。

こうしたバラダイムの転換が、バラダイム・シフト (バラダイム・チェンジ) です!

知とは、さまざまな要素が結びついて出来上がった一つの体系である。

したがってパラダイムの変化は、世界観の変化をも意味する。

こうしたことから、今では単に「見方を変える」「固定観念を破る」といった意味で「パラダイム・シフトーという 言葉が使われることも多くなっています。 

遠近法(perspective)

遠近法(perspective)

認識

 ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き。「認識が甘い」「認識を新たにする」「認識を深める」「対象を認識する」

 《cognition》哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきの一で、事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容。

 

遠近法

絵画で距離感を表現する方法。遠上近下の位置や遠小近大の透視図法、また色調の変化などで表す。

私たちは、日々さまざまな出来事や情報に接して生きていますが、そのすべてを自分にとって重要なものとして認識することなど不可能です。

そこで私たちは、自分なりの「遠近法」を通じて物事をとらえ、世界がどういうものかを認識していくしかない。

そして一般に解釈や説明と呼ばれているものには、多かれ少なかれ必すこの「遠近法」がともなっています!

たとえば新聞やテレビによるニュースの解説は、実際に起きた出来事を記者などが一つの価値観に基づく遠近法によってとらえ、それを説明したものである。

したがって、そうしたニュースが客観的で公正なものだといった考え方は、ある意味では「幻想」 にすぎないとも一言えます。 

Seiga(理系大学生)
Seiga(理系大学生)

ちなみに現代文の読解も、ある種の「遠近法」です。文章の中に散りばめられた多様な情報を取捨選択し、そのどれが重要なのかを見極めることが、文章を読んで筆者の主張を理解する上では重要だからです!

「幻想」としての文化

「幻想」としての文化

幻想

[名](スル)現実にはないことをあるかのように心に思い描くこと。また、そのような想念。「幻想を抱く」「戦争のない未来を幻想する」

 

イデオロギー

 政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。

 一般に、思想傾向。特に、政治・社会思想。

 

先入観

前もっていだいている固定的な観念。それによって自由な思考が妨げられる場合にいう。先入見。先入主。「先入観にとらわれる」

たとえば「平等幻想」という言葉があります。

現実には完全な平等などというものは存在しないにもかかわらず、それがあるかのように思い込んでしまうことを指す言葉です。

「中流幻想」といった言葉も似たような意味です。

そして、こうした幻想を多くの人間が共通して抱くようになったとき、その幻想は「共同幻想」と呼ばれます。 

「共同幻想」の代表的なものとしてしばしば取り上げられるのが、たとえば「貨幣」や「国家」です。

千円札や一万円札は単なる紙切れにすぎないのだが、それが「貨幣」として流通しているのは、その紙切れには価値があるという「幻想」が人々の間に共有されているから。

「国家」についても同様のことが言えます。

単に領土=国家とは言えないことからもわかるように、「国家」とは実体の曖昧なものですが、人々は、それをあたかも実体のあるものであるかのように「幻想」してしまいます。

このように考えれば、人間の文化的な営みはすべて「幻想」であるということも可能になりますね。 


最後まで読んでいただきありがとうございます!

現役大学生が思う『言語とコミュニケーション』について
広告

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。